「気にしないで」……え?
「気にしないで。」 そういわれたあなたはどう受け取るだろうか。 「分かりました!」 そう気持ちよく答えられるだろうか。 多分、そんなことはない。 次のどれかになるんじゃない? 「はいはい、わかりました」(察し) 「え?気にしてたの?」(無意識) 「気にしてるくせにぃ~」(いじわる) なぜそんな反応になるのだろうか? 思うに、「気にしないで」ということは、「気にしないでほしい」という願望である。 そして、そんな願望が出てくる時点で、本人はすでに気になって仕方がない。 しかも、わざわざ相手に伝えることで、今まで気にしていなかった人の意識まで、そこへ向けてしまう。 もはや「気にしないで」と言いながら、気にしてほしいまである。 日本にはダチョウ倶楽部という伝統芸能がある。 素晴らしい文化だ。 元気よく大きな声で 「押すなよ。絶対に押すなよ」 という。 笑顔で後ろから「ドン」。 本来これはいじめの構造だ。 やるなというのに、やっている。 なのになぜか面白い。 この芸を知らない人が、いきなりこれを見せられたら、真剣な顔で助けに行くだろう。 でも、日本においてはそうはならない。 多くの国民が、この一連の流れを理解しているからである。 押されるとわかっていて、押すなと言っている。 だから、押す。 予定調和の笑い。 「押すなよ」と言われた側は、何を求められているのか知っている。 本当に押さなかったら、むしろ話が違う。 ところが、「気にしないで」には、この予定調和がない。 言われた側には、正解がわからない。 本当に気にしなくていいのか。 ちょっとくらい気にした方がいいのか。 いや、むしろ盛大に気にしてほしいのか。 台本が渡されていないのである。 だから、わたしたちは言葉をそのまま受け取らず、声の調子や表情、その前後の出来事まで読み取ろうとする。 「気にしないで」と言われた瞬間、 気にしないためではなく、 どのくらい気にするべきなのかを考え始める。 気にし具合がグラデーションになってしまう。 だから、難しい。 「気にしないで」は、気にしないことを求める言葉ではない。 言った本人にとってちょうどいい具合に、気にしてほしいという言葉なのだ。 そんな具合、気にしてられません! わたし、「気にしないで」への回答を発明したかもしれません。 「わかりました!!!」(ニッコニコで) こうすれば、めんどくさい読み合いもなくなる。 本当に気にしないでほしいなら、希望どおり。 気にしてほしいなら、ちゃんとそう言ってくるだろう。 「いや、少しは気にしてよ」 そう言われたら、そのとき初めて気にすればいい。 言われていない本音まで予測して、ちょうどいい気にし具合を当てる必要はない。 わたしはエスパーではないのだ。 ダチョウ倶楽部には、国民に共有された台本がある。 でも、あなたとわたしの間にはない。 裏の意味まで読み取ってほしいなら、 台本は、そちらでご用意ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。




なるほど。私も「気にしないで」と言われて、どうしていいのか迷ってしまうタイプなので、その返し方すごくいいなと思いました。今度言われたらやってみようと思います。