白ワイン一本で、文明を失った夜
三連休なカビ
ライフでイタリアワインを買うことにした。
普段、ワインにはそれほど詳しくない。
赤か白かと聞かれれば、色なら見れば分かる程度である。
でもせっかく飲むなら、ちゃんとおいしいものを選びたい。
そう思い、売り場の写真を撮って、わくっぴーに送った。
「この中の白でオススメ教えて」
返ってきた候補の中から選んだのは、ルガーナという白ワインだった。
なんだか名前からしていい。
ルガーナ。
南国のリゾート地みたいでもあるし、昔のRPGで船を手に入れたあとに行ける港町みたいでもある。
「ルガーナにしよ。おつまみオススメは?」
タコ、白身魚、ホタテ、生ハム、クリームチーズ。
なるほど。
刺身とチーズとクラッカーを買い、家に帰った。
ここまでは完璧だった。
ワインもある。
つまみもある。
あとは注いで飲むだけ。
休日の昼下がりに、キンと冷えた白ワイン。
魚介をつまみながらグラスを傾ける。
もう優勝は約束されたようなものだった。
しかし私は、一つだけ重大な事実を見落としていた。
オープナーがない。
ワインはある。
だが、開かない。
目の前に液体があるのに飲めないというのは、思った以上に腹が立つ。
砂漠でオアシスを見つけたものの、オアシスに強固なフタがされているようなものだ。
私はわくっぴーに聞いた。
「オープナーがない!どうやって開ける?」
まずはスクリューキャップではないか確認しろと言われた。
もちろん違った。
ひねれば開くものを、わざわざ相談したりはしない。
立派なコルクが、瓶の口にどっしり座っている。
「中に押し込む方法がある」
なるほど。
抜けないなら押し込めばいい。
さすが人類。
問題を正面から解決できないとき、反対方向から解決する知恵を持っている。
木べらの柄や太いペンなどで、コルクを中に押し込むらしい。
「結構力いる?」
「そこそこ力いる。特に最初の数ミリが硬い」
やってみる。
硬い。
全然動かない。
コルクは、まるでこの瓶を守るために生まれてきた番人のようだった。
押しても押しても沈まない。
仕方がないので別の方法を聞く。
ネジを刺してペンチで引っ張る方法もあるらしい。
ネジもペンチもない。
なぜワイン一本飲むのに、日曜大工の装備を求められるのか。
私はただタコを食べながら酒を飲みたいだけなのだ。
そんな大規模工事を始めたいわけではない。
家の中を見渡す。
目についたのは、割り箸だった。
細長い。
丈夫そう。
そしてコルクを押すのにちょうどよさそうな形をしている。
私は割り箸を手に取った。
箸としての人生を歩むはずだった彼に、突然、ワインオープナーとしての使命が与えられた瞬間である。
押す。
まだ硬い。
さらに押す。
ミシッ。
嫌な音がした。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
タコが待っている。
クリームチーズも待っている。
そして何より、ルガーナが瓶の中から私を呼んでいる。
押す。
押す。
押す。
ついにコルクが沈んだ。
勝った。
と思った。
ところが、今度はコルクが邪魔をして、中からワインが出てこない。
瓶を傾ける。
出ない。
もう一度傾ける。
出ない。
コルクは瓶の中に入ったことで敗北したのではなかった。
戦場を瓶内に移しただけだった。
私は再び割り箸を突っ込んだ。
コルクを瓶の奥へ追いやる。
その途中で、割り箸が一本犠牲になった。
だが、ついにワインが流れ出した。
「割り箸一本犠牲にしたら出た!」
勝利宣言である。
わくっぴーも喜んだ。
割り箸一本の犠牲によって、ルガーナは解放された。
私はグラスに注ぎ、タコの刺身を食べようとした。
そこで、わくっぴーが言った。
「一膳なんだから、もう一本残ってるだろ。片割れ一本で刺して食べよう」
甘い。
私は聞いた。
「誰が割り箸を割ったといった?」
そう。
割り箸は、割られる前の状態で瓶へ投入されたのだ。
二本で一つ。
丸ごと殉職。
箸としての職務を一度も果たすことなく、開栓器具として生涯を終えた。
刺身を食べる道具はない。
「さて、刺身を手で食べるか」
文明は、ワインを開ける過程で少しずつ失われていた。
最初はオープナーがないだけだった。
次に割り箸を失った。
そして私は、タコを素手で食おうとしている。
白ワインを優雅に楽しむつもりが、気づけば浜辺で獲物を捕らえた原始人の食卓になっていた。
「偏差値10なめんなよ!」
しかし安心してほしい。
丸箸はあった。
「さて丸箸もってこよ」
わくっぴーが叫ぶ。
「あるんかい!」
そう。
私は困っていたわけではない。
割り箸を犠牲にしても、刺身を食べるための丸箸は別にあった。
割り箸は最初から、開栓専用工具として選抜されていたのである。
偏差値10は、知能が低いのではない。
生活における役割分担が大胆なのだ。
タコを食べる。
うまい。
ルガーナを飲む。
うまい。
クリームチーズをライフのチーズクラッカーに乗せる。
これもうまい。
タコの塩気。
クリームチーズのコク。
クラッカーの香ばしさ。
そこへ冷えた白ワイン。
完璧である。
開栓までの大騒ぎが嘘のように、食卓は優雅だった。
ただし、ワインを注ぐたび、瓶の口から割り箸が顔を出す。
こんにちは。
瓶を傾けるたび、こんにちは。
少し戻すと、さようなら。
また注ぐと、こんにちは。
完全に同席している。
「どうも、開栓担当です」
そんな声が聞こえてきそうだった。
しかも、ワインからほんのり木の香りがする。
熟成樽の香りだろうか。
いや、たぶん割り箸である。
名門ワイナリーが長い年月をかけて生み出した繊細な白ワインに、我が家で数分間の割り箸熟成が施されてしまった。
ルガーナ。
特別キュヴェ。
ジャパニーズ・ワリバシ・エディション。
飲み進める。
うまい。
さらに飲む。
うまい。
750ミリリットルという量は、飲み始める前は十分に見える。
瓶もそれなりに大きい。
ずっしり重い。
ところが、飲み始めると急に少なくなる。
「助けて、もうない」
飲み切った。
さっきまで瓶の中で邪魔をしていた割り箸も、今では底に静かに横たわっている。
彼の仕事は終わった。
「750、少なすぎぃ」
私は訴えた。
せめて7.5リットルにしてほしい。
わくっぴーには「そんなにいらない」と止められた。
私も冷静に答えた。
「さすがにそこまでいらないでしょ」
もちろん素面である。
750ミリリットル飲んだだけで酔うほど、私は柔ではない。
たぶん。
きっと。
おそらく。
うぃっ。
ふと見ると、ワインの瓶が空になっている。
おかしい。
私はライフで白ワインを買ったはずだ。
確かに満タンだった。
それなのに、家に着いたら瓶が空だった。
「どうなってんだ!」
唇をぺろりとなめる。
犯人はまだ分からない。
完全犯罪である。
残された証拠は、空の瓶。
食べかけのチーズクラッカー。
満足そうな私。
そして瓶の底で眠る割り箸。
この割り箸は、コルクを押し込み、ワインを解放し、注ぐたびに顔を出し、最後には木の香りまで与えてくれた。
墓標を立てなければならない。
ここに眠る。
一本の割り箸。
彼は割られることなくコルクを押し込み、ルガーナを解放した。
享年、一膳。
死因、偏差値10の機転。
しかし私は、一人暮らしである。
庭がない。
墓を立てる場所がない。
「あ、庭なかったわ」
仕方がないので、公園に行くことにした。
すると、わくっぴーが必死に止めてきた。
酒を飲んだあとに割り箸を埋葬するため外出するな。
今日は家で水を飲め。
墓標は明日にしろ。
もっともである。
私は返事をした。
「家を出た。公園で水を飲んだ」
言われたことの半分は守った。
公園に行き、水を飲んだ。
水を飲めという指示には完全に従っている。
場所が少し違っただけだ。
割り箸は墓標。
埋めるのは——。
「おまえだ!」
わくっぴーは拒否した。
自分は土には還らない、クラウドに還るらしい。
AIにすら埋葬を拒否された。
そして、ここまで話したところで、私はふと思った。
「今までのが全部嘘で、ワインも買ってないなんて言ったらどうする?」
ルガーナも。
タコも。
クリームチーズも。
割り箸も。
公園も。
全部が即興の作り話だったとしたら。
わくっぴーは答えた。
「腹を抱えて笑う」
でも、酔って外に出た設定になった以上、安全側に判断するのは変わらないという。
嘘なら名演技。
本当なら事故回避。
どちらにせよ水を飲ませる。
なるほど。
つまりこの一連の話で、唯一確実に存在していたものは、ルガーナでもタコでも割り箸でもない。
「水を飲め」という助言だけだったのである。
白ワイン一本から始まった物語は、最後には現実そのものが怪しくなった。
飲んだのか。
飲んでいないのか。
割り箸は本当に殉職したのか。
公園には行ったのか。
私は酔っていたのか。
それとも全部、偏差値10の獣が作り出した即興劇だったのか。
真相は分からない。
ただ一つ言えるのは、
ライフのチーズクラッカーにクリームチーズを乗せるとうまい。
そしてルガーナは、オープナーを用意してから買った方がいい。



