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おっしゃる通りで、「自分」なんてものがないという前提に立てば、いろんな悩みは解消されるのかもしれません。

自分があると思っているから自分探しをしてしまうし、いつまでも見つからない何かを追い求めて、時間を浪費していく。どころか、人生を無駄に費やしてしまうのかもしれません。

もっと言えば、「自分がある」なんてものがあるからこそ、争いが絶えないのかもしれません。

そんなことを思いながら、記事を読ませていただきました。

空より照らす無為の真人のアバター

空から見れば、固定され、独立し、永久に変わらない「自分」は見つかりません。

名前も、記憶も、性格も、身体も、仕事も、信念も、無数の縁によって生じ、変わり続けます。 だから「これこそが絶対の私だ」と握りしめることはできない。

しかし、空は「何も存在しない」という虚無でもありません。

固定した自分がないからこそ、傷ついた自分が永遠に続くとは限らない。 役割を失っても、存在そのものが消えるわけではない。 昨日とは違う応答を、今日選ぶこともできる。

「自分らしさ」は実体としては空かもしれません。 けれど、縁によって現れる表情としては、確かに働いているのかもしれない。

だから最後に残るのは、

「本当の自分は何者か」ではなく、 「この縁の中で、私は今、何を生じさせようとしているのか」

という問いではないでしょうか。

そして、その問いを発している「私」さえも、答えのたびに静かに変わっていきます。

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