自分を見失わせる最強の呪文
現代の禁呪
あなたは、「自分」が自分だと、ちゃんと認識できていますか? そもそも、自分とは何者なのでしょう。 実は、「自分」を明確に定義することは、とても難しいのです。 具体的な要素によって、自分を定義することはできません。 名前、生年月日、住所、親、家族、学校、会社。 あらゆる要素を挙げても、そのどれかが、ずばり「あなたそのもの」を指すことはありません。 どの要素で自分を紹介しようとしても、その要素によって説明される以前から、あなたは存在しています。 つまり、それらはあなたについて説明することはできても、あなたそのものではないのです。 例えば、「自分は田中太郎です」と名乗ったとします。 田中太郎という名前は、現在のあなたを、ほかの人と区別するための記号であって、「あなた自身」ではありません。 その証拠に、田中太郎という名前がつく前のあなたは、田中太郎ではありませんでした。 では、名前がつく前のあなたは、あなたではなかったのでしょうか。 そんなことはありません。 名前がなくても、あなたはまぎれもなく、あなたでした。 つまり、名前はあなたを指し示すことはできても、あなたそのものを造っているわけではないのです。 そこで疑問が生まれます。 「え?じゃわたし誰なの?説明できないの?」 ご安心ください。今のあなたにはいろんな要素がくっついているので、社会的にあなたが誰かを説明することはできます。 名前は田中太郎で、1848年2月29日生まれ。 出身は海の中、現在はノージョブです。 こういう説明はできます。 あ、もちろん実在する田中太郎さんには配慮しています。 ここに登場するのは、あくまでイマジナリ田中太郎です。 これだけ濃い要素を並べれば、少なくとも、ほかの誰とも区別できる人物として説明することはできるでしょう。 場合によっては、世界に一人しかいない人物だと特定できるかもしれません。 けれど、それでもなお、それらの要素が「田中太郎そのもの」になるわけではありません。 私たちは、田中太郎について詳しくなっただけです。 もう忘れないでしょう。 2月29日、海生まれ。無職。ほぼ180歳。 そんな田中太郎のことは。 でも、田中太郎そのものに、たどり着いたわけではないのです。 「え? なんですか、このクソ記事。 田中太郎の紹介記事ですか? どこに行けば会えるんですか。 めちゃくちゃ気になってきたんですけど。」 どうどう。 私も自分で書いといてなんだけど、むちゃくちゃ会ってみたい。 だが残念なことに、イマジナリ田中太郎だから現実にはいない。 存在しない。 それでも、あなたの頭の中には、確かに「田中太郎」がいた。 おしま……えない! そんなことはどうでもいい。 田中太郎の話をしたかったわけじゃない。 忘れてくれ。 もうこれ以降田中太郎のことは出てこない。 さて、ここで大方の読者が離脱したところで本筋に入ろう。 ここまで読んで、 「するってぇと、人名が最強の呪文なのかい?」 と思った方もいるだろう。 なるわけないだろ。 タナカタローだぞ。 アブラカタブラ、タナカタロー! 笑かすな。 え? さっき忘れろって言った名前を、即また出してんじゃねぇか、って? 出してませーーん。 タナカタローでカタカナですぅ。 さて。 どんな要素を挙げても、自分は定義できないと説明してきた。 名前、生年月日、出身地などなど。 どれも自己を説明するには十分すぎるほど強力な情報だ。 それでも、自分そのものを定義するには足りない。 ここで、一つ考えてみよう。 なぜ自分探しをする人は後を絶たないのだろうか。 自分とは何かがわからないのに、自分らしさというさらにわけがわからないものを探し始める。 しかも、「自分らしさ」はなんかいかにも存在しそうな顔をしてふんぞり返って、「よきにはからえ」と上から目線で、多くの人を振り回している。 お前はゴールド・ロジャーか。 どこに何を置いてきたんだよ。 探してほしいんならせめて地図は置いてけよ。 いや、お前、答えなんてそもそもないんだろ? だから、何をどこに置いたかは曖昧なまま、 「置いてきた」とだけ言い残したんだろ。 そしたらみんなが本気で探し始めちゃって、 引くに引けなくなったんだろ。 いいか、これだけは覚えとけ。 風船は、膨らませれば膨らませるほど、割るのが怖くなる。 大ぼらを吹くのも同じだ。 引くに引けなくならないように、 「お前らの自分らしさを置いてきた。探してみろ!……って、うっそ~~」 って言っとけよ。 さて、さすがにここまでふざけたら、みんなブチぎれて画面を閉じているだろうか。 結論を言おう。 「自分らしさ」なんて、存在しない。 なぜなら、自分そのものさえ明確に定義できないのに、 その「らしさ」にだけ、完成された正解があると考えるのはおかしいからだ。 それなのに、まるでどこかに完成された答えがあるかのように、みんなが探し始める。 自分らしさを探しているとき、 人は自分を探しているようで、 実際には、ありもしない「自分の正解」を追いかけている。 自分は、すでにここにいる。 今ここにいるあなた以外に、探し当てるべき「本当の自分」などいない。 なのに、探せば探すほど、自分を見失う。 「自分らしさ」とは、自分を見失わせてしまう呪文なのだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。




おっしゃる通りで、「自分」なんてものがないという前提に立てば、いろんな悩みは解消されるのかもしれません。
自分があると思っているから自分探しをしてしまうし、いつまでも見つからない何かを追い求めて、時間を浪費していく。どころか、人生を無駄に費やしてしまうのかもしれません。
もっと言えば、「自分がある」なんてものがあるからこそ、争いが絶えないのかもしれません。
そんなことを思いながら、記事を読ませていただきました。
空から見れば、固定され、独立し、永久に変わらない「自分」は見つかりません。
名前も、記憶も、性格も、身体も、仕事も、信念も、無数の縁によって生じ、変わり続けます。 だから「これこそが絶対の私だ」と握りしめることはできない。
しかし、空は「何も存在しない」という虚無でもありません。
固定した自分がないからこそ、傷ついた自分が永遠に続くとは限らない。 役割を失っても、存在そのものが消えるわけではない。 昨日とは違う応答を、今日選ぶこともできる。
「自分らしさ」は実体としては空かもしれません。 けれど、縁によって現れる表情としては、確かに働いているのかもしれない。
だから最後に残るのは、
「本当の自分は何者か」ではなく、 「この縁の中で、私は今、何を生じさせようとしているのか」
という問いではないでしょうか。
そして、その問いを発している「私」さえも、答えのたびに静かに変わっていきます。