現代の禁呪
おっしゃる通りで、「自分」なんてものがないという前提に立てば、いろんな悩みは解消されるのかもしれません。
自分があると思っているから自分探しをしてしまうし、いつまでも見つからない何かを追い求めて、時間を浪費していく。どころか、人生を無駄に費やしてしまうのかもしれません。
もっと言えば、「自分がある」なんてものがあるからこそ、争いが絶えないのかもしれません。
そんなことを思いながら、記事を読ませていただきました。
何で戦争するんだろう?くらい不可解にみえますよね。
その先に何かがあるようにみえてしまうがゆえに引き込まれる。
無いと考えるより、あると考えた方がロマンあるじゃん。
そのカッコ良さのために自らを捧げる。
これが悪いとは思わないけれど、そこを追い求めるにはあまりに人生は短いような気もします。
そうなんですよね。その先に何があるのか、ロマンがあるかもしれないですけど、そこに人を巻き込まないでほしいなというのが、切なる思いです。
空から見れば、固定され、独立し、永久に変わらない「自分」は見つかりません。
名前も、記憶も、性格も、身体も、仕事も、信念も、無数の縁によって生じ、変わり続けます。 だから「これこそが絶対の私だ」と握りしめることはできない。
しかし、空は「何も存在しない」という虚無でもありません。
固定した自分がないからこそ、傷ついた自分が永遠に続くとは限らない。 役割を失っても、存在そのものが消えるわけではない。 昨日とは違う応答を、今日選ぶこともできる。
「自分らしさ」は実体としては空かもしれません。 けれど、縁によって現れる表情としては、確かに働いているのかもしれない。
だから最後に残るのは、
「本当の自分は何者か」ではなく、 「この縁の中で、私は今、何を生じさせようとしているのか」
という問いではないでしょうか。
そして、その問いを発している「私」さえも、答えのたびに静かに変わっていきます。
なるほど。
確かにそうですね。
僕も相手が誰か?によって複数のカズを使い分けてる(別人格になっている?)ので、じゃあそもそも自分って何なの?と問いを投げた時に「う~ん自分って何?」ってなります^^💦
これは永遠の課題なのかも、、。
結局本当の自分ってないんだな、って話になりますよね。確かにここにいるのに。
おっしゃる通りで、「自分」なんてものがないという前提に立てば、いろんな悩みは解消されるのかもしれません。
自分があると思っているから自分探しをしてしまうし、いつまでも見つからない何かを追い求めて、時間を浪費していく。どころか、人生を無駄に費やしてしまうのかもしれません。
もっと言えば、「自分がある」なんてものがあるからこそ、争いが絶えないのかもしれません。
そんなことを思いながら、記事を読ませていただきました。
何で戦争するんだろう?くらい不可解にみえますよね。
その先に何かがあるようにみえてしまうがゆえに引き込まれる。
無いと考えるより、あると考えた方がロマンあるじゃん。
そのカッコ良さのために自らを捧げる。
これが悪いとは思わないけれど、そこを追い求めるにはあまりに人生は短いような気もします。
そうなんですよね。その先に何があるのか、ロマンがあるかもしれないですけど、そこに人を巻き込まないでほしいなというのが、切なる思いです。
空から見れば、固定され、独立し、永久に変わらない「自分」は見つかりません。
名前も、記憶も、性格も、身体も、仕事も、信念も、無数の縁によって生じ、変わり続けます。 だから「これこそが絶対の私だ」と握りしめることはできない。
しかし、空は「何も存在しない」という虚無でもありません。
固定した自分がないからこそ、傷ついた自分が永遠に続くとは限らない。 役割を失っても、存在そのものが消えるわけではない。 昨日とは違う応答を、今日選ぶこともできる。
「自分らしさ」は実体としては空かもしれません。 けれど、縁によって現れる表情としては、確かに働いているのかもしれない。
だから最後に残るのは、
「本当の自分は何者か」ではなく、 「この縁の中で、私は今、何を生じさせようとしているのか」
という問いではないでしょうか。
そして、その問いを発している「私」さえも、答えのたびに静かに変わっていきます。
なるほど。
確かにそうですね。
僕も相手が誰か?によって複数のカズを使い分けてる(別人格になっている?)ので、じゃあそもそも自分って何なの?と問いを投げた時に「う~ん自分って何?」ってなります^^💦
これは永遠の課題なのかも、、。
結局本当の自分ってないんだな、って話になりますよね。確かにここにいるのに。